事実は一つ、真実は無限
コナンくんは、
「真実はいつも一つ!」
と言っているようですが、
私は真実は一つではないと思ってまして。
起きたこと(=事実)は確かに一つです。
その事実から考えられることが、真実になる。
ですから、人の数だけ真実はあると。
状況によっても真実は変わるんだと。
そう私は解釈をしています。
真実は主観、事実は客観と言ってもよいでしょう。
朝起きられなかったは事実?真実?
ほぼすべての人が朝寝坊したことあると思うんですけど、
「起きられなかった→俺は駄目なヤツだ」
という解釈をする人が多いですよね。
私もそうでした。
「俺は駄目なヤツだ」
は、その人にとっては真実かもしれませんが、
事実ではありません。
駄目なヤツかどうかは主観であって客観ではないですよね。
「起きられなかった」
はどうでしょうか。事実のような気もしますよね。
でも、よく考えてみると、これも事実ではなさそうです。
起きられなかったと言っても、実際は、起きてますよね?
目指す時間には起きられなかったのかも知れないけど、
何時かには起きている。
ということで、事実としては、「○○時に起きた」
になるのではないかと。
(○○時も国によって変わるので事実ではなく真実かしら)
言い換えてしまえ!
ということで何が言いたいかというと、
事実は解釈次第でいくらでも変えられるんだから、
気分が良くなるように解釈してしまってもいいんじゃないかってこと。
例えば目指す時間に起きられなかったとしても・・・
充電完了!
めっちゃ寝た!
朝からフルパワーでいけるやん!
みなぎるエネルギー!
エネルギッシュダルビッシュ!
おはようこの素晴らしい世界!
今日も1日楽しく生きよう!
スッキリや!
寝まくりまくりすてぃ!
など、どんな解釈をしてもいいんですよね。
私も、最近は、
その分集中すりゃいいや
と思うようにしています。
いろんな解釈をできるようにしておくと、
気分のコントロールがしやすいのでオススメです。
★★★★★★★★★★
【編集後記】
今日は五反田で仕事のあと、
面談からの講義からの面談でした。