いつもお読みいただきありがとうございます。
いつも行くスーパーは決まってSEIYUです。なんでも安いし24時間営業だし,本当に庶民の味方なんですよ。
お気に入りはカットパインとかカットフルーツ。遅い時間に行くと大抵値引シールが貼られています。果物が大好きな自分には欠かせない商品です。
普段はSEIYUに行っていますが,先日,京都に旅行したとき,どうしても必要なものがあってスーパーに行かなければならない状況になりました。
しかし,人生で3度目の京都のことが分かるはずもなく。。。
適当にフラフラ歩いて目に留まったスーパー(そのときは本当にスーパーなのかもよく分からないまま)に,エイヤ!で入りました。そもそも京都にSEIYUはあるのかな?
中に入ってみると,もう一歩目から明らかに違う。こんなのスーパーじゃない。あのSEIYUの醸し出す安売り大バーゲン風の空気や古くささやちょっとした貧乏くささ(失礼!)はどこへいってしまったんだろうか。
店を間違えたと思ってすぐに踵を返そうとしたが,せっかくだから東京にないものをみてみたいという好奇心が勝り,何とかその場に踏みとどまりました。
店の中にはハイソな女性が目立ち,商品の価格もSEIYUの2倍以上するものがほとんど。
なんとか目的物を見つけレジに並んでいると,目の前に並んでいた6歳くらいの女の子が「オーガニック納豆をください」と店員に話しかけていました。
これはなんたる光景か。
そもそもオレは6歳で一人でお買い物なんて行ったことないぞ。
こんな人種が同じ日本にいるのか。そもそもオーガニック納豆ってなんやねん!?
としばし混乱してしまいました。
そうこうしているうちにレジが済み,ホテルへ向かいます。
現実に戻った気がしてほっとすると同時に,ものすごい嫌悪感に襲われました。
どうしてオレはオーガニック納豆の存在を知らずに今まで生きてきたんだろう?あのハイソな女性はどこから沸いて出てきたんだ?オーガニック納豆女の子の親はどんな仕事をしているんだ?なぜオレはあっちの世界にいないんだ?
考えれば考えるほどむしゃくしゃしてきます。
感情が,揺さぶられました。
この,「感情が揺さぶられる経験」をどれだけしているかで,その人の人間としての幅って決まると思うんです。
自分の知っていることや経験したことのあることだけでしか,人間は物事を見たり考えたり話したりすることが出来ません。
バンジージャンプをやったことがない人にはその世界は語れないですし,どういう感情になるのかも分かりません。
ドラクエをやったことがない人に,スライムばかり倒し続けても永遠にレベルは上がらないよと言っても理解は得られません。
知らないこと,経験したことがないことには反応しようがありません。
たとえば生まれてから死ぬまでず~~~~~~っと自宅にこもりっきりで育てられたらどうなってしまうでしょうか。
その自宅がその人の世界のすべてになってしまうでしょう。ディズニーランドも東京タワーも,すべてテレビの中だけの世界で,自分の世界として捉えることは出来ないでしょうね。
私は,そんな人間にはなりたくありません。
すこしでもたくさんの世界を知りたいし,経験してみたいのです。そうすることで大きな人間に少しでも近づけると思うから。
しかも,感情が揺さぶられるような経験をたくさん積みたい。そして,できることなら,そちら側の世界(非日常の世界)にいきたい。
ではどうすれば良いのか。
多くの人は,おそらく臆病者です(少なくとも私はそうです)。
新しい世界を経験してみようと思っても,こわくてなかなか飛び込んでいけないのが現実でしょう。
だから,目を閉じて一歩を踏み出すのです。
余計にこわいよ!と思うかも知れませんが,こうするより他にないのです。
最初はエイヤ!で一歩を踏み出すべきなのですが,目を開けていては余計な情報が飛び込んできてしまい,結局踏み出せません。
今回の高級ス-パーも,知らない地ですし,どうしても行かざるをえない状況だったから経験できたこと。
はじめからそこが高級スーパーであることを知っていたり,他にも安いスーパーが近くにあることを知っていたならば絶対に足を踏み入れていなかったはず。
新しい世界を知るきっかけは,目を閉じた一歩からスタートするものなのではないでしょうか。
その一歩を踏み出したことで,誰かにとっての日常は自分にとっての非日常であることを経験できました。
ありがとう6歳児!オレもすぐそっちの世界に行くからな!待ってろよ!オーガニック納豆女の子!
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今日のエントリは,「ちきりんの日記」の下記エントリを読んで書いてみました。
「伝えたいメッセージを文章にする、ということ」
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もし自分が、
・いつもは行かない初めてのスーパーに入ったら、
・価格が驚くほど高く、周りの客の服装もいつものスーパーより、かなりハイソな感じだった。そして、
・「オーガニック納豆をください」と店員に話しかける “6歳ぐらいの女の子”を目撃した
としたら、その経験から、ブログの読者にたいして「何を伝えたい」と思うか、ぜひ考えてみてください。
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ということで,今日のお話には軽くフィクションも含まれております。(京都に行ったのは事実です!)
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
複利のような逓増人生を。